〈"持ち上げる・動かす"だけでも違います〉

 

 シモザワ整体では、施術中に腕や足を動かしながら調整をしていくことが頻繁にあります。調整といっても、一般的な整体のような、動きが悪い方向に無理やり動かしたり、バキッと関節を鳴らしたりする調整とは違います。

 筋肉や骨格は、動きの中で不都合を出していきますから、静止状態ではなく、特定の形や動きの中でしか調整出来ない場合が、結構あるのです。

 どの動きの中で、どう操作していけば、どの部分が調整されるかの見極めは、静止状態よりも難しくなるのは言うまでもありませんが、今回お話ししたいのは、「それ以前」の問題についてです。

 

 実は、調整する以前の、「持ち上げる・動かす」の段階が、意外にも難しいのです。

 この、誰にでも出来そうな「持ち上げる」ですが、持ち上げた時に、相手の体に少しでも“負荷”を感じさせてはいけません。

 例えば、座った姿勢で腕を持ち上げたとします。

この時、相手の自然に動く腕の動きのラインから少しでも外れてしまえば、相手は大小に関わらず体に力を入れて、自分の体を保たなくてはならなくなります。この時の力が“負荷”です。

この負荷は、バランスを取るために、無意識に行う動作によって生まれる力ですから、ごく小さな力であっても、その力が発生したことを、こちらが察知しなければなりません。

 施術を受けている人は、正常な腕の状態ではありませんので、本来ならできる動きができなかったり、動ける方向がかなり限られて、少し方向が違っただけで負荷になってしまったりすることもあります。場合によっては、“持たれている”だけで負荷に感じるケースもあります。

 その中で、どんな力加減で持ち、どの方向にどのラインで動かすかを、持った瞬間から腕の状態を察知すると同時に判断していくのです。 

普通に考えたら、相手がバランスを崩さず、力を入れない環境を作れば良いのですから、相手の体が全く揺れなければ良いように感じますが、この負荷、不思議な事に、それで良いわけではないのです。

 

気功教室で先生が実演した時の事です。

始めは、相手の体が揺れないように動かすお手本を見せてくれていたのですが、「上手になれば、こんな事も出来ます」と、相手の腕をブンブン振り回し、相手の体もそれに合わせてブンブン振り回されているのです。それなのに、腕を持たれている人は「どこにも負荷もストレスも感じない。始めの動かし方と同じ感覚だ」と言うのです。

これには、私も生徒も全員ビックリ。だって、有り得ないでしょ? 体が揺れない時と、ブンブン振り回されているときの感覚が同じだなんて。

でも、実際受けてみると、確かに体のどこにも負荷もストレスも感じないのです。

しかし、生徒の人が腕を持った時は、持たれるだけで体のあちこちに負荷やストレスを感じるのです。

結局、生徒の皆は、2時間の教室でずっと練習をして、出来るようになったのは、相手の腕を動かすどころか、先生が持っている相手の腕を、そのまま持たせてもらいキープすることだけでした。

 

これは、教室の生徒が普通の人よりも感覚が鋭いから、負荷やストレスを感じる訳ではありません。シモザワ整体に通われているクライアントであれば、殆どの方が、この違いを感じると思います。

時折、下澤先生は施術に同席した家族の方に、“自宅で家族の人にやってほしい簡単な施術”を教える事があります。

寝ている姿勢などから足や腕を動かす施術を教え、家族の方がやってみた時、受けている方があまりの違いに驚き、つい「先生と全然違う!」と、口に出してしまったことが何度かあります。ちなみに、言われた家族の方は、「そんなに違う~?」と、軽くスネます。

 

なぜ、こんな単純で簡単な操作でも、ここまで差が出てしまうのでしょうか。

実は、この「差」が、先生と我々の施術技術や効果に大きな差が出てしまうことと繋がるのです。

先生の施術は、この「神の手と科学の手」のはじめにも言いましたが、特別な能力でやっているのではありません、体の状況をどこまでも観察、細分化し、追及していくやり方です。ですから、普通の人が、大して影響が出るとは考えないような「こんな事まで?」と思う所まで考え、感じ取り、気を使い、さらに追及していきます。

その作業が、どのレベルまで出来ているのか。できている結果が、形になって出てきただけのことであり、先生との「差」となるのです。

人の体は、どんな機械よりも精密かつ精巧です。どんな小さな問題であっても、きちんと追及し、原因を突き止め解決していかなくては、良くはなっていきません。それを「どこまで」出来るかが、手技療法士・整体師としての力の差に、大きく影響してくるのです。